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瞑想リトリート ハワイ島報告

2025年1月17~15日まで

アメリカ・ハワイ州 オアフ島とハワイ島で「瞑想リトリート」を8名で実施しました。

以下は、リトリートに参加された医師浅田紘祐子さんとMさんのレポートです。






マウナケア山(4207m)をバックに・溶岩の上で
マウナケア山(4207m)をバックに・溶岩の上で


ハワイ島 夕陽の瞑想リトリート
ハワイ島 夕陽の瞑想リトリート

ハワイ島瞑想リトリート (2025.1。21~25)レポート

                               2025.1.29

                                 浅田 紘祐子

 リトリートの最終日、私たちはハレマウマウ火口の噴煙を見下ろしていた。草の上に車座になり、一人づつ体験をシェアした。私が話そうとすると、言葉は浮かんだビーチボールのようにスルリと逃げてただ感情が溢れ出した。私は巨大なバニヤンツリーの下で瞑想した時の、根拠のない確信を伝えたかったが、言葉はあちこちに散らばって仲間に伝えることができなかった。そのことを今、伝えたい。

とても個人的で、多分理解しがたい可笑しなことだと思う。許して欲しい。

 私は多分思春期頃にはもう自分に降りかかったことを怒らない、悲しまない、寂しがらない子供であった記憶がある。どうしてなのか、どこかで自分のことを怪しんでいた。糸のよう軽やかに揺らぐ枝を地に向かって遥かに高い地上から垂らすその巨木の下でゆだねる瞑想をした時、ただ心地よく座った途端、白いレース(穴の空いた空間がいくつもある)が浮かんだ。レースの穴から篩のように悲しさや寂しさが落ちていった。同時に、穴からこぼれたそれを私に代わって悲しみ、嘆いてくれているものがいた(気がした)。その時はそれがこの巨木であると信じられた。自分が受け止められなかったもの、避けていたかもしれないもの全てを丸ごと私に代わって辛がっている存在がいること。それを何と呼べばいいのだろう。確かなことは、癒された感覚と共に私が居て、もう二度と独りを感じることも独りになることもないと分かった。

 帰国して4日目の今日、自然のエネルギーがゆだねる瞑想に必要だと説かれる臨床瞑想法の意味を実感している。瞑想により開いた扉はしかし、リトリートへの参加を思い切って決めた瞬間に既にフルオープンして待っていてくれたようにも感じる。

 日常の中では逆に、瞑想中ではなく、ぼんやり油断(笑)してる瞬間にインスピレーションが降りてくることの方がしばしばだ。普段如何に自分を空っぽにし息を感じることが困難な生活をしていることか。その日常に抗うこともないが、時々「脱出」(「逃亡」と言った方が私にはぴったりくるが)をやらかすことが多分必須事項。

 今朝の瞑想では、私に代わって嘆いてくれたあの木は未来の自分であったのかと自分に問うてみたけれど、反応なし。ただ、あのハワイ島の大切な場所に、自分を空っぽにし命を感じながら息をした瞬間、戻れる感覚がある。

ハワイ島の大自然と導いてくださったけいこ・フォレストさん・モモちゃん・大圓さま、そしてご一緒くださった仲間に心より感謝を申し上げたい。

追伸 瞑想と無関係だが、思ったその場で本当のことを伝えることが如何に難しいか、改めて伝える側として体験した。それをこそ傾聴したい私のスピリチュアルケア師としての立ち位置を考え直す機会ともなった。


🌸🌸🌸🌸🌸🌸

 今回思わぬ展開で直前で参加できるという、この幸運に恵まれました。2016年に臨床瞑想法に出逢い、スピリチュアルケアワーカーでの学びや、GRACE、表現アートセラピーと学びを進めていく中で、今は私は自分自身を整え、自分自身や他者や大自然とのつながりを取り戻すことが私自身の為でもあり、援助職としての役割を持つ私に必要なことだと考えています。

今回、このリトリートに参加でき、このハワイ島の雄大でエネルギッシュな大自然を、癒しの仕事に関わる皆様とご一緒させてもらう中で、身体が喜ぶ美味しいものを戴いたり、美しいものや光や慈愛に瞑想とともに深く触れ、私はこのままでよいのだと感じました。最近、特に悩んでいた長女のことも私にとってかけがえのない仏種だったことに気づきました。たくさん傾聴してもらい、共にいてもらって、本当に全てに感謝しています。有難う御座いました。皆さまから戴いたこの御恩を、筒となって必要な方々に返せるように務めます。愛と感謝をこめて🌺( T.M)


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